駅近にある店……ではない。ならば繁華街にある……わけでもない。じゃあつまり、何でも揃う大型店てこと……でもない。それなのにその店はいつも明るくて、誰かしらが笑顔。客足が絶えない酒店だ。その酒店とは、日本酒と本格焼酎を中心に日本の地酒を扱う「三益酒店」のこと。三姉妹が切り盛りする、お酒好きの心をつかんで離さないこの店を目指して、巨大な集合住宅が立ち並ぶ団地へと向かった。
昭和レトロな団地のなかに現れる、現代の酒店
JR赤羽駅からのんびりと歩いて20分ほど。都内屈指の規模を誇る赤羽台団地を抜けて現れる都営桐ヶ丘団地は、戦後の住宅難と東京への人口集中に対応するために整備されたという、こちらもかなりのマンモス団地だ。「三益酒店」は、150棟近い建物からなるこの桐ヶ丘団地の端っこ、桐ヶ丘中央商店街の一角にある。中庭に向かって店々が軒を連ねるこの商店街、コイン式の遊具なども置かれて“昭和レトロ”のお手本のよう。団地の老朽化や、住民の世代交代と一緒に時代に置き去りにされても不思議ではない商店街……。そんな思いを蹴散らすように、「三益酒店」には人々が集う。細長い店にはひっきりなしに出入りする人の姿。夕方が来ると軒先のテーブルでお酒やおつまみを楽しむ人が次から次へと訪れる。
角打ち「三益の隣」の、びっしりと説明文が書き込まれたメニューには、一杯目の提案として大分県みろく酒造によるオーク樽熟成の麦焼酎〈Bajou〉を使ったバジョウボールに、熊本県豊永酒造による、カルダモンを加えた大人気の球磨焼酎〈カルダモン TAKE7〉が……どちらも500円!? 通好みの銘柄を気軽なアレンジと価格で楽しむことのできる、なんとも贅沢な場だ。
「戦後復興期の祖父の代、焼酎ブームなどもあった父の代、そして何でも手に入る私たちの代。社会が変わるにつれて、三益も変わってきているのだと思います」
そう話すのは、「三益酒店」の三代目当主にして株式会社三益の代表取締役を務める東海林(しょうじ)美保さんだ。1948年創業の「三益酒店」、現在店を切り回すのは美保さんを始めとする3姉妹だ。二女の佐藤由美さんが酒店店長、三女の東海林美香さんが角打ちの責任者。彼女たちの代が店を引き継ぐことで、「三益酒店」は大きくシフトチェンジした。3姉妹のうちで最初に家業に入った由美さんが話す。
「創業者で私たちの祖父である善次郎の代は、お酒と一緒に乾物や生活雑貨も扱っていたそうです。ご近所の暮らしを支える古きよき“酒屋さん”ですね。それを引き継いだのが、団塊の世代ど真ん中の私たちの父・孝生。1990年代の始め頃は、量販店やコンビニで安いお酒が気軽に手に入るようになってかなり苦労したそうですが、そこで日本各地の地酒を専門に販売する酒屋へと舵を切りました。有名無名に関わらず、惚れ込んだお酒の蔵元に何度も通い、扱いを増やしていったんです。努力が実り、本格焼酎も泡盛も、近辺では三益でしか手に入らないお酒が揃うようになりました。
そんな背景もあり、2000年代初頭の焼酎ブームの時などは、お客様が貴重な焼酎を“買わせていただく”感じにまでなったのだと思います。私が三益に入った2007年頃は、まだその時代を引きずった接客をしていて、実はずいぶん衝突しました。父の目利きするお酒は確かにどれも本当においしい。でも極論すると、“俺が苦労して仕入れてきた酒を分けてやる”というような接客が今の時代に受け入れられるだろうか? と。すごく悩みましたし、イヤでした(笑)。親娘だからこその直接的な反発もしてしまって、何度も店の裏で泣きましたね」
苦労して見つけた三姉妹ならではの形
先に実家を手伝い始めた由美さんの相談相手になっていたのが姉の美保さん。大学を卒業後、大阪で一般企業に就職していたが、幾度も電話口で「今の三益じゃだめなんだ」という由美さんが泣くのを聞いたこともひとつの理由になって家業に入ることを決意したそう。美保さんが話す。
「自分は長女だし、いつかは酒屋を手伝うんだとは思っていましたが、あくまで“いつか”でしかなかった。だから退職して大阪から東京へ戻る新幹線の中では、もう私には酒屋の道しかないんだ、退路を断ってしまったんだ、って延々と泣き続けましたよ……」
そうして長女と二女が三益の一員となったが、試行錯誤は変わらず続いたという。
「父は全然甘くなくて、“自分たちの居場所は自分たちでつくれ”と言われました。新しいお客様を獲得するために、チラシをつくってご近所さんにポスティングしたり、飛び込みで営業したり。二人とも営業には全然向いていなのがすぐに分かっただけでした(笑)。配達先などで全く悪意なく『家をお手伝いしてエラいねえ』と言われることにもすごく落ち込みましたね。姉妹でやっているとあくまで“お手伝い”なのか……と。二人とも生半可な覚悟で家業に入ったつもりではなかったので。考えてみると肩に力が入りすぎていたかもしれません。ご縁があってイベントに出店したり、SNSで発信をするようになったりと徐々に私たちだからできることが増えてきた。さらに『お姉ちゃんたちが楽しそうにやってるから』と、美香がそれまでの勤め先を退職して三益に加わったことで、それまでイベントのみの開催だった角打ちが毎日開けられるようになりました。この数年でやっと自分たちならではのやり方が見えてきた感じです」
ワクワクする‘コト’に出会える酒店を目指して
現在、三益酒店で扱う地酒は350銘柄ほど。うち100銘柄ほどが本格焼酎だ。2017年に美保さんが会社の代表取締役を父から引き継いで三代目当主に。買い付けは変わらず先代・孝生さんが務め、美保さんたちが若い女性たちだからこその視点とツールで、魅力あるお酒をお客さんへと届けている。美保さんが話す。
「それぞれのお酒のPOPは楽しく、インパクトのあるものを。こういうPOPをつくるのがとても上手なスタッフがいて、彼女が描いてくれています。HPやブログ、SNSなどの整備は段階的に行いましたね。また、倉庫のようになっていたスペースを角打ちの場に転換してからは、蔵元の方をお招きするようなイベントも積極的に行えるようになった。蔵元とお客さんをつなぐ酒店、ワクワクする“コト”に出会える酒店。そういった意識を持って、自分たちに何ができるかを常に考えています」
そうなのだ、三益はとにかく、その場にいるのが楽しいお店。たとえば焼酎のPOP。「焼き鳥屋さんで大人気のお酒です!!」「呑むと…感動!」「度数を忘れちゃう」「休日だったら午前中から飲みたい酒」……。瓶の首にかかるそんなPOPに誘われて、ひとまず飲んでみようかなと手が出る。店内の大きな甕に本格焼酎の芋と麦が1酒類ずつ入っていて、手頃な価格で量り売りしてくれるのもうれしい。いつもと違う焼酎にも、三益ならチャレンジしやすいのではないか。
新型コロナウイルスの感染拡大でさまざまなことが変化した2020年。三益酒店では、三姉妹が起こし始めていた変化が加速度的に進んだと由美さんが話す。
「飲食店への配達がほとんどなくなったりと、影響は小さくありません。でもその分、オンラインショップやYouTubeチャンネルに注力するなど、発信により力を入れました。結果的には遠方からネット購入していただけるお客様が増えたりと、うれしい変化もありました」
1日最低3件のSNSのポスト、毎週のYouTube動画配信。通常業務に加えて、これらの発信を、3人が協力しながら続けている。
時代に合わせてしなやかに変化する酒店
事業承継の難しさは、酒店だけでなく、日本各地のあらゆる個人店や私企業が直面している課題でもあるはず。時代に合わせてしなやかに変化する。シンプルだけどとても難しいそのことを、それぞれの世代が成し遂げているのが、「三益酒店」が今も生き生きと輝いている秘訣だろう。
都内の有名ホテルのキッチンを退職し、志願して三益の角打ちスペースの責任者になった美香さんは、実はお酒がそれほど強くない。だからこそできることを常に探しているという。
「まだまだお酒に詳しくないので、自分の勉強も兼ねて、扱うお酒の説明を細かく手書きしていますが、それが一人で飲みにいらっしゃるお客様にとっての読み物になっているようです(笑)。メニューにある、熟成焼酎や焼酎を使ったサワーやカクテルは、お酒の強くない自分でもおいしく飲める方法を研究した成果。それから、近隣の大学生を意識して少しお得な“学割”も行っています。若い世代がお酒離れをしていると言われるけれど、いい出会い方が提供されていなかっただけなんじゃないかな? と」
お酒好きの層はもちろんのこと、まだまだ詳しくない世代や層へも強く意識を持ってさまざまな入り口を用意する三益酒店。
お酒とおつまみの”サブスク”サービスともいえる「三益倶楽部」も、これからさらに会員を増やしていけたらと、美保さんが話す。
「今は、プレミアムのついた特定のお酒だけが人気を得る、ブランド志向の時代ではないと思います。背後のストーリーや個性を好きになることが、それぞれの人にとっての愛着につながっていく。だとすれば、三益そのものがブランドとなって、“三益のお酒は個性的だ、ストーリーがある”と思ってもらえることが何よりかなと思うんです。まだまだ父にはかなわない面ばかりだけど、私たちには、3人いるからこそできることがあるはず。仕事のこと、三益のことを考えている時間が本当に楽しいです」
三益酒店 |
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住所 東京都北区桐ヶ丘1丁目9-1-7 TEL 03-3907-0727 営業 10:00~20:00(日・祝 10:00〜) 休日 月曜 WEB http://mimasu-ya.com/ |