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【前編】蒸留器の歴史を知る! |起源はメソポタミア

コラム

【前編】蒸留器の歴史を知る! |起源はメソポタミア

text & illustration : SHOCHU NEXT

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焼酎をはじめとする蒸留酒はその名のとおり、蒸留器を用いてつくられるお酒です。蒸留器なくして蒸留酒なし……そりゃそうか。ともかく、焼酎をつくるために欠かせない装置のひとつです。

ところでこれ、いったいいつ頃からあるんだろう? 調べてみると、蒸留器ははるか遠い昔から使われてきた大発明品であることがわかりました。

蒸留ってなんだ?それ自体が発見の宝庫!

蒸留の歴史を語る前に、まずは蒸留についておさらいしましょう。

「蒸留」とは、沸点の違う2つ以上の成分からなる混合液を一度蒸発させたあと、再び液体にもどして特定の成分を抽出・凝縮する操作のこと。

焼酎はこの技術を用いて、水よりも沸点の低いアルコールを抽出します。蒸留によって抽出される焼酎のアルコール度数は38~45度くらい。蒸留することで醸造酒よりも格段にアルコール度数の高いお酒ができあがるというわけですね。

蒸留のプロセスは、蒸留酒づくりのほかに、香水づくりやガソリンの生成などさまざまな場面で行われます。つまるところ蒸留器は、私たちの普段の暮らしとかなり密接な関係にあるのです。さて、ではこの技術、いつ頃誕生したのでしょうか。蒸留技術が誕生した時代まで遡ってみましょう!

蒸留器の誕生はなんと5000年前!

現在発見されている最古の蒸留器はメソポタミア文明のテペ・ガウラ遺跡で発掘されたもの。先史時代の中国でも蒸留技術を用いていたという記述が残されています。

このふたつの時代をふまえると、蒸留器と蒸留技術の発明は少なくとも5000年前まで遡るということになります。まさかこんなに古い技術が現代まで使われているとは!

当時の蒸留器は主に香水をつくるために使われていたようで、活用方法は現代ほど多くはなかったようです。

紀元前3世紀頃には、エジプトのアレキサンドリアにて船乗りが飲み水を手に入れるために海水を蒸留していたという記述が残っています。

この時点で蒸留器が誕生してからおよそ3000年。長い年月の中で蒸留器の用途の幅が広がっているのがわかりますね。

それでも蒸留酒の製法が生まれるのはまだまだ後の時代。時は中世、11世紀頃の錬金術の時代へと進みます。

蒸留酒は錬金術で生み出された!?

漫画やゲームなどでも扱われる「錬金術」。その言葉にはなんとなく馴染みがあるという人も少なくないのではないでしょうか。

錬金術とは化学的な手段を用いて金銀などの貴金属や魂や人間の身体を含むさまざまなものを精錬する試みのこと。錬金術師は現代でいうところの科学者のような立ち位置でした。錬金術師によって、磁器や火薬、さまざまな化学薬品が現代においても必要なものが発明されましたが、彼らが本当につくりだしたかったものはこんなものではありませんでした。

錬金術師の悲願「賢者の石」

みなさんは「賢者の石」をご存じでしょうか?

賢者の石とは、万病を治し、不老不死を実現し、鉄屑から金銀を生成できる究極の物質です。
そう、この賢者の石の精錬こそが錬金術師たちにとっての最大の目標でした。確かにそんな物質があるのならば僕も欲しいです。

賢者の石の精錬方法には諸説ありましたが、その中のひとつが蒸留器を用いる方法。アラビアの錬金術師たちは蒸留器を使って、なんとか賢者の石を作り出そうと試行錯誤を繰り返したのでしょう。
その試行錯誤のなかで偶然にも生まれたのが高純度のアルコール溶液、つまり現在の蒸留酒の原型です!まさかこんなファンタジーのようなきっかけで誕生してるとは、ちょっと驚きです。

こうして出来上がった蒸留酒を「生命の水(アクア・ヴィタエ)」と呼び、彼らは病気を治す秘薬として飲用するようになりました。14世紀のイタリアではペストに対する民間治療薬として蒸留酒づくりが行われていたとか。蒸留酒に薬草のようなものが多く使われているのも納得ですね。

ちなみにウイスキーやブランデー、ウォッカなどはすべててこのアクア・ヴィタエが語源になっているといわれています。

中世のアラビアの錬金術師たちによる賢者の石の精錬は蒸留酒の製法を生み出すだけでなく、蒸留技術そのものの発展や、蒸留器の進化に大きな影響を与えました。

この頃、蒸留器はアラビア語で「アル・アンビック」と呼ばれ、これが転訛して蒸留器全般を指す「アランビック」になりました。江戸時代の日本で使われていた蒸留器「らんびき」の語源もアランビックからきたのではないかといわれています。

蒸留器の伝播

こうしてアラビアで発展した蒸留技術。11世紀になると商人たちが世界中に伝播していきます。

東洋への伝播は、シルクロードを通じて中国の雲南に伝わり、そこからモンゴルや中国、タイなどの東南アジア地域へと広まっていったとされています。

日本初の蒸留酒、泡盛

日本に蒸留器が入ってくるのは14世紀頃。当時アジア諸国の交易の中継地として栄えていた琉球に、東南アジアのシャム国(現在のタイ)からインドシナ半島を経由して入ってきたといわれています。

琉球はラオロンというシャム国の蒸留酒を輸入しており、のちに蒸留の製法が伝わって泡盛をつくるようになりました。このことはシャム国の文献や朝鮮半島で見つかった書物などに記載があり、シャム国→インドシナ半島→琉球という伝播はほぼ確実なものであると考えられています。

日本で最初につくられた蒸留酒は泡盛だったというわけですね。

焼酎の誕生

九州への伝播ルートには、中国→朝鮮半島→対馬経由説や、中国→東シナ海経由説など諸説ありますが、現在最も有力とされている説はインドシナ半島→琉球→薩摩経由説です。

①インドシナ半島→琉球→鹿児島経路説
②中国→朝鮮半島→対馬経路説
③中国南部→東シナ海→日本本土経路説
④中国(雲南)→福建→琉球経路説

大航海時代の探検家ジョルジェ・アバレスが1546年にフランシスコ・ザビエルに送った「日本の諸事に関する報告」の中には米からつくる蒸留酒があったととれるような記述があります。また、鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社には、1559年に書かれたとされる「神社の神主がケチで一度も焼酎を飲ませてくれなかった」というなんとも茶目っ気たっぷりな落書きも残っています。

これらの歴史的に残されている記述を踏まえると、焼酎がつくられるようになったのは16世紀初頭ではないかと考えられます。はるか昔からお酒を飲んできた人類の歴史を考えると、焼酎は誕生してからまだ500年ほどしか経っていない、まだまだ新しいお酒ということですね。

蒸留器は古代から引き継がれる発明品だった!

蒸留器の歴史を辿ってみたら、まさかの古代に行き着いてしまいました! さすがにそこまで古いものだとは思っていなかったので、正直とても驚きました。長い歴史のおかげで、今おいしく焼酎を飲めていると思うと、メソポタミア文明には頭が上がりません。

14世紀に日本に伝わった蒸留器は古式蒸留器と呼ばれ、現代で使われているステンレス製の蒸留器とは全くの別物。さて、昔の人はどんな蒸留器を使って酒づくりを行っていたのでしょう?

後編では焼酎の歴史を遡って、かつて使われていたさまざまな古式蒸留器を紹介したいと思います!


後編はこちら!

蒸留器の歴史を知る! 後編・昔はどんな蒸留器を使ってた? | 熟成を知る、焼酎を楽しむWEBマガジン 「SHOCHU NEXT」

蒸留器は蒸留酒づくりに欠かせない装置。前編の記事では蒸留器の歴史を辿りながら蒸留酒の誕生や日本への伝播などを見てきました。後編ではかつてどんな蒸留器が伝播されたのか、図解を交えてご紹介していきます。

参考文献:
米元俊一 「世界の蒸留器と本格焼酎蒸留器の伝播について - 本格焼酎の古式蒸留器の伝播を香科学や調理学の立場から考える -」『別府大学紀要』58巻、119-136ページ(2017)
鮫島吉広 第36回石油・石油化学討論会 特別講演「焼酎用蒸留器に関する楽しい話」『石油学会 年会・秋季大会講演要旨集』13-16ページ(2006)

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