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何度でも帰りたくなる味を生む場所|熊本・木下醸造所を訪ねる

蔵元

何度でも帰りたくなる味を生む場所|熊本・木下醸造所を訪ねる

Text & Photo : SHOCHU NEXT

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海外旅行帰りの空港を出て吸い込む外の空気。実家のこたつに入る両親の丸まった背中。近所の川面を滑っていく鴨。人それぞれに「ほっとする」景色や味わいがあるだろう。球磨焼酎の蔵元・木下醸造所のつくる焼酎には、そんな身近にあるかけがえのない瞬間や気持ちを思い出させる力がある。代表銘柄〈文蔵〉を筆頭に、ふくよかで、どしっとしていて、初めて飲んでもなんだか妙に懐かしい。ホームページもない小さな蔵とは聞くが、一体どんな人のどんな手が、どんな場所でつくっているのだろう? 裏ラベルを頼りに電話をかけてアポイントを入れ、蔵を目指した。

〈文蔵 40度〉。木下醸造所の焼酎はすべて地元産の米を使い、手仕込みの白麹でつくる。白ラベルは25度。黒ラベルはこの40度と35度が中心。

江戸と同じ光景のなかでつくられる球磨焼酎

木下醸造所があるのは熊本県多良木(たらぎ)町。球磨焼酎の蔵元が広がる人吉盆地の中ほど、人吉市街から球磨川を20kmあまりさかのぼった辺りに位置する小さな町だ。田畑と住宅とが代わる代わるに出てくる細い道を折れ曲がり、用水路のある道沿いに進む。むこうの角に建つ焦げ茶色の古い平屋の傍らに、見慣れた「文蔵」の文字が書かれた看板が見えてくる。出迎えてくださったのは、代表の木下弘文さん。「とても古い建物ですから、見るようなところがあるかなあ」と話す木下さんの後をついて蔵へ入る。外の明るさからは一転した建物内の仄暗さに目が慣れると、一気に時間を巻き戻したような景色が見えてくる。

蔵のすぐ向かいの用水路は支流を経て球磨川へとつながる。
「文蔵」は創業者の名前。球磨地方に伝わる民謡「六調子」にも“多良木の文蔵爺”と名前が出てくるほどだから、よく知られた人物だったのだろう。

「建物のいちばん古い部分は、江戸の文久年間(1861~64年)に建ったといいますから、築150年以上ですね」と木下さん。木下醸造所の創業は1862年。相良藩から醸造・販売のための「茶屋」の免許を与えられて始まった、球磨焼酎のなかでも最古参蔵のひとつだ。その茶屋時代から、自宅と製造所が隣接するこの蔵を使い続けてきたという。見上げれば天井には太く立派な何本もの梁、自宅へとつながる小上がりの一角には量り売りをしていた頃のよすがを残す、枡や甕を載せた小ぶりの棚。そのどれもが時の流れを示すように、古色豊かな焦げ茶色だ。三和土の一隅にあるシステムキッチンとダイニングテーブルの置かれた場所には、かつては煮炊きの釜があったという。静かに目を閉じてもう一度目を開けたら、江戸の頃へと時間が巻き戻っているのではないか。そんな錯覚を起こしそうなほど、建てられた当時の配置のままに、大切に使い継がれてきたのがわかる。

かつて焼酎は陶器の「通い徳利」を持って近所の蔵元に買いに行くものだったそう。左に見える枡で甕の焼酎をすくい、徳利に入れる。買った分だけ帳面につけておいて掛け払いをする…。そんなほのぼのとしたやりとりが間近に見えるよう。
木下醸造所代表・木下弘文さん。終始謙虚で訥々とした語りが印象的な、柔和な人だ。

甕仕込一本。変えなくていいことは変えない、木下醸造所の酒づくり

木下醸造所のつくりの大きな特徴のひとつは、昔ながらの甕仕込を今も続けていること。しかも生産量の一部を甕で行うのではなく、甕仕込一本。そういう蔵は、今はもう、そう多くはない。

「甕仕込みがステンレスタンク仕込みに取って代わられていった大きな理由は生産量。仕込みの甕は大きくても500リットル程度ですが、ステンレスタンクは5,000~10,000リットルが主流。大きな蔵だと甕では到底追いつきません(笑)。うちは小さな蔵ですし、甕から変える理由がないんです

謙虚な言葉で木下さんはそう話すが、ずらりと約40個の甕が並ぶ仕込みの風景は壮観。首元まで地中に埋められた甕の中のもろみをかき混ぜる木の櫂は、甕の底の形に合わせた丸っこい形状をしている。木下さんを含めて2~3人での作業だから、仕込み中は誰もが大忙しだ。1次、2次仕込みを行うこれの甕や、石造りの麹室が建屋の1階部分、米の洗い場や蒸し器は2階。蒸留器は現在使用しているのは小ぶりの常圧1基のみ。どの蔵にも言えることではあるけれど、工程に沿ったコンパクトで効率のよい動線が敷かれている。

仕次ぎに似た手法の熟成で、安定した味をつくり続ける

木下醸造所の焼酎はいずれも、熟成を経てから出荷する。貯蔵は戸外に置かれたタンクや種々の甕が中心だ。

「レギュラーの〈文蔵〉はホーローやステンレスのタンク貯蔵のものが中心。通い徳利を模した陶器の瓶に入れた〈文蔵 原酒古酒〉は、現在出ているものは6〜10年熟成です。ほかに大小の甕でも貯蔵していて、年数は古いもので20年熟成ほどになります。出荷したら次のつくりの酒を少し足したり、ある程度の熟成を経たものを違うタンクに足したり。そういう風にして味を安定させています」

〈10年もの文蔵〉はその名の通り、甕で10年以上の熟成。度数が37度と、ボディのしっかりしたコクとうまみの強い1本だ。ストレートでちびりちびりと飲みたくなる!甕熟成ものは「土や木、かすかなスパイスののニュアンスが出る」と木下さん。
通い徳利を模した陶器に入った〈文蔵 原酒古酒〉。6〜10年の貯蔵・熟成。

古酒に新酒を足すことで味を安定させながら、古酒/新酒のいいとこどりで総合的な味わいを高めていく。泡盛の“仕次ぎ”に似た手法で、〈文蔵〉は変わらない味をつくり続けているというわけだ。

「大きな蔵だとブレンダーがいらしたり、品質管理部があったりしますけど、うちは基本的には味を決めるのは私だけ。だから出荷前には度数調整のための加水をするだけで、ブレンドはしません

今、手にする瓶の中にも、はるか昔に醸された一滴が入っているかもしれない……。そう考えるととても壮大で、ロマンチックなつくりだ。

「〈茅葺〉の原酒を熟成しているのは、これらとは全く違うタンクなんです。そちらも見てみますか?」と木下さん。立っているのは堅牢なつくりの蔵の前。こちらもまた文久年間の建物なのだそう。古道具店でしか見たことのない、取っ手のついた大きな鍵を差し込んで、木下さんが器用に扉を開ける。「これです」と木下さんが指差すのは、床にはまった四角い扉……? 引き開けた扉の下には、なんと白いタイル貼りのお風呂のようなプールのような空間が広がっていて、焼酎が水面を静かに揺らしながらたっぷたぷと眠っている!

「このタンクはさすがに江戸時代のものではなく(笑)、昭和につくったようです。昔は製造時に酒税の検定が行われていましたから、上から物差しを差し入れて量を量りやすい形でもありますよね。深さは2m程度、容量約6,500リットルのこういうタンクが2つ、この蔵の中にあります」

このタンクのほか、30リットル入りの小ぶりな甕などが置かれるこちらの蔵、全体をぐるりと見回してみると、もうひとつ度肝を抜くものが目に入る。かつて使っていたという木桶蒸留器だ!「父の代までは現役で使っていたんですよ」と木下さん。

「きちんと整備すれば今も使えなくはないのですが、なんせ故障も多いうえ、修理ができる人も減ってしまった。木桶蒸留器で酒をつくるのは、現実的ではなくなってしまいましたね」

蔵の片隅にあった木桶蒸留器! 民俗学博物館や骨董店で見かけるようなものが普通に出てくるのは、150年以上にわたって同じ場所で酒づくりを続ける蔵元ならでは。

気づかない速度でずっと変わり続ける、木下醸造所のこれから

手仕込みの麹、甕でのもろみづくり、甕熟成、地下のプール(!)熟成……。「変えないでいいことは変えない」木下さんのやり方は、ともすれば変化をきらう消極的な姿勢と映るのかもしれない。でも実は、経験と根気、そして柔軟で強い意志が必要な酒づくりだ。こういう人がこういう場所でつくるから、〈文蔵〉や〈茅葺〉の、そこはかとない安心感やほっとする味わいは生まれるのだ。

取材中「うちの蔵は無理をしすぎない方がいいんです」と木下さんは幾度も繰り返した。

「しんどくなって続けられないのがいちばんよくない。利益はまあまあのところでいい。長く続けていきたいんです」

わかりやすい花火をぱっと打ち上げるのではなく、じわりじわりととろ火を灯し続けることの価値を、木下醸造所は教えてくれるようでもある。

決して単なる消極的な人などではないことは、〈文蔵 梅酒〉を飲んでもわかる。「ばあちゃんが家で仕込む梅酒がいちばんおいしい。つくりもあれに近いです」と木下さん。近所の畑で手もぎされた梅を丁寧に仕込み、氷砂糖と一緒に〈文蔵〉に漬ける。熟成焼酎ならではの深みとうまみ、こっくりとした甘さ。他とは一線を画す味わいで定評がある。18度と梅酒にしては高めの度数なのは、「ちゃんと酒としておいしい梅酒にしたい」という木下さんならではの個性だ。

「熟成はもちろん、リキュールの分野も気になっていますね。熊本にはいい柑橘やスパイスがある。そういうものを使って、酒としてもうまいと思える、自分のような飲んべえも納得するリキュールができたらいいなと思っています」

変わらない蔵の味。静かにかすかに変わり続けるからこそ、その味は愛され続ける。木下醸造所のつくるお酒に、何度でも帰っていきたいと思う。

液体はサラッとしているが味のパンチは随一の〈文蔵 梅酒〉。海外での評判もいい。
木下醸造所
熊本県球磨郡多良木町多良木785
TEL 0966-42-2013 
創業 1862年創業
蔵見学 電話にて要予約
ショップ あり

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