クラフトスピリッツを再発見するWEBマガジン

「それでも僕は前を向く」。八千代伝酒造の解任劇|八木健太郎氏インタビュー

インタビュー

「それでも僕は前を向く」。八千代伝酒造の解任劇|八木健太郎氏インタビュー

INTERVIEW : Taiki Nakayama(SHOCHU NEXT)
EDIT&Photos : GINGRICH(SHOCHU NEXT)

  • Twitterでシェア
  • Facebookでシェア
  • Lineで送る

鹿児島では芋焼酎の製造が忙しさのピークへと向かう9月末のこと。八千代伝酒造の4代目社長である八木健太郎氏の解任という、耳を疑う一報が飛び込んできた。健太郎氏にとって青天の霹靂たる出来事だった。

単なるお家騒動、家業のビジネスにしばしばある親子喧嘩だろうと看過するのは、ちょっと難しい。次世代の焼酎づくりについて語る時、必ず名前のあがる蔵がいくつかあるが、八千代伝酒造はそのひとつだからだ。サツマイモを自然乾燥させることで芋の甘みを引き出した〈つるし八千代伝〉や、氷結冷蔵で水分を飛ばしながら追熱と糖濃縮をさせた〈crio〉など、八木健太郎氏が世に送り出してきた銘柄は、どれも高い評価を得ている。畑を耕すことが焼酎の味わいにつながることを信じ、2018年には会社を農業法人に変更して、農業と酒づくりを一体化させた取り組みに邁進してきた健太郎氏は、間違いなく伝統産業に新しい風を吹き込む立役者だった。そんな人物がいま、焼酎づくりに関わることができないでいる。

電撃的な解任からおよそ2週間後、八木健太郎氏に解任の経緯を聞いた。

聞き手:中山大希(SHOCHU NEXT編集長)
*インタビューは、2023年10月10日に東京で行われました。

八千代伝酒造に一体何が? 突然の社長解任劇。

今回の出来事はあまりにも衝撃的なことで、ただ驚いています。解任に至るまでの経緯をお話しいただけますか?

まだ話せないことが多いことはご承知ください。今期の焼酎づくりが始まって50日ほどが経った9月21日のことです。蔵にいた私のもとに、唐突に内容証明で1通の封筒が届きました。送り主は八千代伝酒造株式会社の会長である父。「なんだろう?」と封を開けると、そこには、代表取締役社長である私の取締役の解任決議を取る株主総会を行う旨が書かれていました。

株主総会といっても、八千代伝酒造の株はすべて家族の所有によるもので、会長の父が2/3、私と弟がそれぞれ1/6。弟は会社を離れていて株主総会には参加しないため、総会は実質、父と私だけでの開催です。あまりに突然のことに動揺したものの、ともかくそれでは5日後の26日に開催しようと連絡を入れました。突然の解任決議案に、通常の精神状態ではいられず、眠れない日々でした。

そうして総会当日。仕込みが一段落した午後2時過ぎから4時間ほど、父と話をしました。何しろこの解任には同意できないこと、僕自身の会社や従業員への思いや、八千代伝酒造の社長としての展望、蔵の4代目としての務め……。自分なりの思いの丈を話し、理解してくれたようにも思えましたが違いました。父には通じなかったようです。もうこれ以上話しても埒は明かない。議長は僕ですので、日も暮れた最後に僕が決議を取ると、父の手がすっと上がりました。

会長と社長、あるいは父と息子。二人の株主総会で話されたこととは?

私はかねてから、製造現場を束ねています。一方で父は直営の販売店にいて製造現場には出ていない。ですからこの解任が通れば、製造は立ち行かなくなり、会社が潰れるかもしれないと、私からは話しました。しかし父は「それも覚悟の上のこと、一世一代の会社でいい」と。

これによって会社が傾いてしまうとしても「この会社は20年前に自分が立ち上げたのだから、自分でなんとかする」と。取りつくしまもなく、私の何がいけなかったのかもよく分からない。会社は私のものでもなければ父のものでもない。法人ですから会社を支える従業員がいて、私たちの焼酎を待つ取引先がいる……。そういった会社としての責任に関する言及は一切ありませんでした。

――鹿児島では8月下旬頃から芋焼酎の製造が始まり、本来ならば、今頃は一年中で最も忙しい時期です。この時期の解任についてはどう考えていますか?

今年は芋の出来がよかったのです。でんぷん価もとても高く、30前後を出していて、今期はまたさらにいい焼酎がつくれると、従業員全員が期待を感じていたところでした。解任決議がなされた株主総会はちょうど稲刈りの時期でしたから、私が解任されたら稲刈りもままならないよと伝えましたが、父は「頼める人がいるから大丈夫」と言うばかり。しかし結局、現在まで4.4町歩(4.4ヘクタール)の田んぼの稲刈りは行われていないようです。

中山さんの南山物産さんとも、ちょうどアジア圏での商談を進めていたところでしたね。そういった海外との取引や、国内の酒販店との調整は、大半は私が現場と並行して行っていましたので、今回の件を知って大変な動揺が広がっています。

焼酎蔵の製造現場にとって、つくりを束ねる人間を解任するには最悪の時期です。つくりに精魂を注ぎ続ける製造現場への気遣いが感じられないタイミングには、正直落胆してしまいました。

――突然の解任に、社内の反応はどういうものだったでしょうか?

解任された26日のうちに、従業員にはその旨を伝えました。相当な動揺が広がり、申し訳なかったですね……。私はもう翌日から出社できなくなりましたが、納得がいかないという従業員が相次いだようです。なかにはあまりのことに動揺し、体調不良になる従業員も出てしまった。私たちの仕事は職人の世界。現場を大事にすることができない人は、経営トップに立つべきではありません。父は製造をほとんどやってきていませんので、それで製造は止まり、今期の醸造は終わるようです。

――解任決議から会長とは話をしていないのですか?

しようとはしましたができていません。自分のショックも本当に大きく、父親に会うのも怖かった。そこから4時間にわたる株主総会では、本当に疲れ果ててしまいました。私の妻も現場で働いていましたから、家族ごと衝撃をくらったようなかたちです。

でも実は昨日、父ともう一度話をしようと思って、父のところに向かったんです。解任決議からのこの数週間で相談に乗っていただいた方のなかには、現在のドメーヌの焼酎がなくなるのはもったいないという方も多くいらっしゃる。なんとか元通りになった方がいいと言ってくださる方もいます。お話ししたように、今は稲刈りの季節ですし、畑のこともある。今僕が戻って集中して仕事にあたれば、今期の酒造りをなんとか成立させられる……。そのギリギリのタイミングだと思ったからです。

父を訪ねて、「話があるからあとで時間がほしい」と伝えて待っていましたが、一向に連絡はありません。そこで実家を訪ねて夜遅くまで待ちましたが、帰ってこなかった。ただただ茫然とするしかなかったです。

――改めての対話を拒まれたのですね。あくまで健太郎さんを会社に戻す気持ちはないということでしょうか。

はい、対話をしない理由は分かりませんが、戻す気はないのだと感じています。従業員たちのショックによる心身不調からの労務不能や退職は予想外だったようですけどね……。私にとっても実はそれは同じでした。自分が解任されたのはショックだけど、正直なところ、従業員はそれでも新しい体制についていくのだろうと。みんな生活がありますし、子育て世代も多いですから。従業員たちには本当に申し訳ないことになってしまいました。

私は2005年から八千代伝酒造に加わり、放蕩はせずに現場第一に仕事に取り組んできたつもりです。田畑を取得して、自社で原料のサツマイモや米をつくることに決めたのは13年ほど前。2018年には農業法人にして、スタッフと一丸となって、畑と焼酎づくりを両輪で手がけてきました。農業への注力は、蔵のあり方も変えました。いい原料を作ればその処理はずっと楽になります。結果的には農業を始める前より休日も増え、勤務時間も減りました。それでいて会社の業績は好調を維持してきたのです。

ここのところの鹿児島・宮崎を悩ませてきたサツマイモの基腐病(もとぐされびょう)も乗り越え、コロナ禍の影響も受けることはなかった。モトグサレ対策に多少の投資は掛かりましたが、業績にいい兆しが見えていたので、ここ1~2年で従業員を増やしていたところでもあるんです。そういった新しい人材も失望させてしまいました。

なかには、蔵から電話が来るだけで吐き気を催すようになってしまったとか、パニック状態になってしまうという者もいます。僕を信じてついてきてくれていた彼らのことを考えると、僕が落ち込んでいる場合ではないなと。彼らの存在が、改めて前を向く大きな後押しになっています。彼らが希望するなら、みんなで再びもっといいものづくりができる環境を作りたい、今はそう強く思っています。

来年から再始動を予定。八木健太郎氏の次なる目標。

――解任からまだ2週間余りですが、いまのお気持ちは?

思えば、八千代伝酒造を農業法人にする際にも、父には「酒造だったのに格が下がらないか」というようなことを言われました。私は、それはまるで逆で、農業法人になることで酒蔵の価値は上がっていくと伝えていましたが、そういう価値観の違いがどんどん広がってしまった。

これまで八千代伝のお酒を愛し、支えてきてくださったお客様、取引先様、従業員を巻き込んでしまったことには、申し訳ない気持ちです。順調に未来に向かっていた蔵からの解任に、揺れる気持ちがないといえば嘘になります。でも、ここが今期のつくりに戻る最後のタイミングという時に父に拒絶されたことで、気持ちは少しずつですが切り替わりつつあります。八千代伝酒造の時は、酒から農業へというベクトルだったのと全く逆の方向。農業の6次産業化の食品加工の中の一つに酒づくりができたらと考えています。

協力いただける人の輪も広がってきています。バラバラになってしまった従業員たちに声をかけ、きっとまた、いい物を皆さんのところに届ける。その思いは片時も変わらないんです。

私は今回の件で、本当に突然に他人ではなく実の親から切られ、ドン底を経験しました。すごく辛い、経験したことのない衝撃ですが、皆さんのたくさんの応援のおかげで、少しずつ前を向ける時間も増えてきました。今こそ、「Luther ルター」と「Mahler マーラー」の言葉を思い出すのです。

マルティン・ルター
「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える。」

グスタフ・マーラー
「伝統とは灰を崇拝するのではなく、炎を絶やさないことである。」

八木健太郎
やぎ けんたろう/岡山理科大学理学部、鹿児島大学大学院農業研究科で学んだ後、2005年より家業である八千代伝酒造株式会社に入社。2019年から4代目当主を務めた。現在はケンファーム株式会社代表取締役を務める。

Share

  • Twitterでシェア
  • Facebookでシェア
  • Lineで送る