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開高健が夢見た熟成焼酎の味〈天の川 VERY OLD〉

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開高健が夢見た熟成焼酎の味〈天の川 VERY OLD〉

Text & Photo : SHOCHU NEXT

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2020年に生誕90周年を迎えての再注目も記憶に新しい、作家・開高健。わずか58年という生涯の間に、並外れた行動力で世界を駆け回り、知性をふるってあらゆる事象を語り尽くした。特に酒と食についての好奇心は無尽蔵だった。よく飲み、よく食べる……にとどまらず、その背後の文化や歴史まで豪快に喰らい、消化し、筆に乗せた。食に関する名文は枚挙にいとまがない。

寿屋(現在のサントリー)のコピーライターとしての仕事も有名な開高。多くの著作で、ウイスキー、ワイン、ジン、ウオッカなど、洋酒について語っていることはよく知られるが、その彼が1本の焼酎に魅せられていたことを知っているだろうか?

長崎県の壱岐島でつくられたとある焼酎に夢中になった彼は、何通もの手紙を蔵元へ送っていたという。あの開高健を魅了した焼酎のことを知りたくて、〈天の川酒造〉へと向かった。


世界の酒を飲み尽くした作家から届いた1通の手紙

長崎県の壱岐島の南側。島の玄関口である郷ノ浦の港から車で10分ほどいった場所に、天の川酒造はある。地元で古くからよく飲まれている〈天の川〉が代表銘柄だ。創業は明治45年。「天の川」という名前は俳句を嗜んでいた初代・西川夘八による発案だった。当時、讃岐の金毘羅様への奉納俳句として読んだ一句が、最高位である「天」を受賞。こんな気持ちのいい句である。

松よけて 見上げる空や 天の川

偶然にも、受賞したその年に酒の製造免許を取得。これは縁起がいいと、初代が「天の川」としたそうだ。

1通目○この現金で焼酎を送れる分だけ送ってほしい

江戸時代から続く壱岐焼酎の伝統を守り、ひたむきに酒づくりを続けてきた天の川酒造。時は過ぎ、三代目当主・西川勝之氏の時代。昭和53年の5月のある日、一通の手紙が届く。クセの強い、丸みある文字で宛先の書かれた封を開けると、原稿用紙が1枚と現金。差出人には開高健とあった。手紙にいわく、山口県光市に講演の依頼で出かけた折、市長にすすめられた〈天の川〉がおいしかったので、同封したお金で送れるだけ送ってほしいとのことだった。ちなみに、当時の光市市長は松岡満寿男。戦時中の外務大臣・松岡洋右の甥で、のちに国政へと進み細川護煕の側近として活躍した人物だ。松岡がなぜ〈天の川〉を薦めたのかも興味深い。

〈天の川酒造〉の西川幸男社長が、開高健からの手紙をパネルにしたものを見せてくれた。

開高はこの手紙の最後に、麦焼酎はウイスキーとどう違うのか、それも教えてほしいと、締めくくっている。

当時は焼酎といえば芋焼酎が一般的。壱岐焼酎の大半は島内で消費されていたから、米麹をたっぷりと使った麦焼酎の独特の香ばしくまろやかな味わいは珍しかったに違いない。好奇心の塊のような文豪の食指が動いてしまったというわけだ。

2通目○焼酎をカメで寝かせたらおいしくなるだろう

天の川酒造の現社長で勝之氏の息子である西川幸男さんは、当時は高校生。父親と開高健とのやり取りを知ったのは、ずっと後になってからだったという。今も蔵では、開高健からの手紙を大切に保管しているが、父親がどんな返信をしたのか、その手紙の内容は見たことがない。それでも勝之氏が開高に宛てて、〈天の川〉を送っただけでなく、壱岐焼酎の詳らかな解説をしたことは分かる。同年7月、2通目の手紙が開高健から届いているからだ。そこには、勝之氏からの返事を機に、すっかり気に入ってしまった〈天の川〉への好奇心が全開になっている様子が見てとれる。面白いのは、焼酎を熟成させることに強い関心を持っていたことだ。

右に見えるのが〈天の川〉のスタンダードタイプ。当時とは異なり、2年貯蔵している。

手紙の中で、開高健はこんなことを言っている。

「私、かねがね、日本のいい焼酎をカメに密封して何年も寝かせてやったらどんなにいいものになるだろうと、夢想しているのですが、まだお目にかかったことがありません。(中略)そこで私はいい焼酎といいカメを買ってきて密封し、自分でVERY・OLDをつくって、十年後に飲んでみたいと思っているのです」

奇しくも、この手紙の10年後に開高健は亡くなるのだが、手紙では以下のような細かな質問が続いていく。

①天の川をかつて三年、五年と寝かせたことがありますか。もしあったとしたらその結果はどうでしたか。

②もし寝かせるとしたら、そのカメは磁器、陶器、素焼の、どれですか。

③土中に埋めたほうがいいのか。どうか。ただ冷暗所に保存しておくだけでいいか。

④そのカメはどこへいったら買えるでしょうか。なるべく地方色のあるのがいいけれど、長崎県内ではつくっていないか。つくっていたとして、一コ、値段は、どれくらいのものでしょう。

なんて可笑しい手紙だろう。時候の挨拶などはなく、冒頭から「近頃の焼酎は匂いを抜くことに夢中で」と嘆き、理想の焼酎を求めて、知りたいことをすべてぶつける開高の姿。多くの著作で、世界を巡り、見て、聞き、味わい、大いに飲んで、体に染みこんだものを、自身の言葉に変容させて語っていくのが開高健たるところで、多くの読み手がそこに心酔する。この手紙には、そんな作家の面の皮の厚い素顔が見えてくるようだ。

手紙は3通で全6枚。後半では開高健が西川勝之氏を頼りにしている様子がわかる。

その後、さらに3通目の手紙へと続くが、焼酎を寝かせるための”カメ”(甕)についての話が開高と勝之氏の間で行われていたようだ。そこでは、焼酎を寝かせるカメをどうしても手に入れたい開高の姿が見える。しかし、ふたりの往復書簡はここでおそらく終わった。その後、開高健が実際に、カメを入手したのか、そして〈天の川〉を寝かせることができたのかは定かではない。

ただし、西川社長によれば、「うちに一升瓶10本分のカメ(甕)があって、それを親父は送ったようなんです。数年前に開高健記念館に伺った際、開高さんがカメ(甕)を持っていたと聞きました。ただし、焼酎を寝かせていたかは不明です」という。

〈天の川〉の甕熟成について、二人の間には、もう少し濃密なやりとりがあったことは確かだ。

天の川酒造の現在の社長、西川幸男さん。

30年寝かせた長期熟成

開高健と不思議な縁で結ばれた〈天の川〉は、現在レギュラー酒のほかに、原材料をすべて壱岐産としたものや樽とタンクの2種で貯蔵したものなど、さまざまなタイプの銘柄を展開している。なかでも30年貯蔵した〈天の川 VERY OLD〉は、開高健が夢見た長期貯蔵の熟成が売りだ。

中央が、スタンダードの〈天の川〉。右は、壱岐産の原料のみでつくった〈天の川 壱岐づくし〉、左は、〈天の川〉を樽貯蔵した後、ホーロータンクに10年以上長期熟成させた〈天の川 プレミアム〉。

「開高さんの手紙がきっかけとなったのかは定かではないですが、親父も熟成した〈天の川〉の商品化については、いろいろと考えていたようです。樽熟成の焼酎もつくっていました。親父は20年ほど前に亡くなりましたが、生前から寝かしていた〈天の川〉の原酒があったんです。それがちょうど30年を迎えた2015年に発売したのが、この〈天の川 VERY OLD〉なんです」

ホーロータンクで30年間たっぷりと寝かせた、どこまでもふくよかな味わい。スタンダードの〈天の川〉について、開高健は「おっとりしていて、賛成です」と手紙のなかで触れていたが、もし今生きていてこの30年ものを飲んだなら、どんな表現をしただろう?

「〈天の川 VERY OLD〉は36度と度数が高いので、ウイスキー好きの開高さんは気に入ってくれたかもしれないですね。タンクに貯蔵していた原酒が38度程度。これを出荷する際に、度数が減ったらまずいので、調整して2度だけ下げました。樽と違い、ホーローの場合は、満タンで貯蔵すれば30年でも度数が大きく下がることはありません」

開高健からの手紙のあった昭和53年に、現在の場所へと蒸留所が移設。

実は、この〈天の川 VERY OLD〉のラベルに書かれた商品名は、開高健の文字を使用している。

「開高さんの手紙にあった“VERY OLD”を商品名にしたいと思って、開高健記念館に伺って、実現することができました。開高さんの手紙にあった“VERY OLD”の文字を使い、ご本人の原稿用紙をモチーフに、生前の直筆サインまで。開高さんの世界観が凝縮したラベルになりました。完成時には、記念館の開高さんが愛飲したマッカラン30年が飾られている隣に置いてもらったんですよ」

〈天の川 VERY OLD〉を購入すると、木箱には開高健が天の川酒造に宛てた3通の手紙のコピーも同封されている。多くの人は、その手紙を読みながら、長期熟成の1杯目を味わうことになる。それは、文豪が「どんなにいいものだろう」と夢想した味だ。

木箱に入った〈天の川 VERY OLD〉。開高健からの手紙は封筒に入っている。

2通目の手紙の最後の一文は、〈天の川 VERY OLD〉を一層味わい深いものにしてくれるだろう。

“おそらく天の川もたっぷり寝かせてやれば、十年後、私が五十七才になったときの、老いの黄昏に微光を射してくれるのではないでしょうか。”

焼酎の愛飲家にとっても、開高健の愛読者にとっても、なんと温もりのある言葉だろう。年齢を重ねると焼酎へ辿り着く人も多いが、焼酎ならではの優しさともいうべき、説明しがたい酒の特性が感じられないだろうか? その優しさに、熟成が時の層として重なる。だからこそ、たっぷり静かに眠り続けてきた焼酎は、いっそう優しい味がする。

天の川 VERY OLD
【麦焼酎】
貯蔵 30年(ホロータンク)
度数 36度
容量 720ml
原材料 大麦・米麹
蒸留 常圧
小売価格 ¥11,000(税込)
天の川酒造
住所 長崎県壱岐市郷ノ浦町田中触808番地
創業 1912年
TEL 0920-47-0108
WEB http://amanokawashuzo.com

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