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麦焼酎の元祖、壱岐焼酎とは? | 焼酎の始まりは小さな島にあった?!

コラム

麦焼酎の元祖、壱岐焼酎とは? | 焼酎の始まりは小さな島にあった?!

Text & Photo : SHOCHU NEXT

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「壱岐焼酎」のこと、どのくらい知っていますか? 球磨焼酎、琉球泡盛、薩摩焼酎と並んで、地理的表示(GI)の認定を受けている壱岐焼酎。条件を満たした本格焼酎のみが名乗ることのできる確固たるブランドだけど、じゃあ壱岐焼酎って何焼酎と聞かれると、きちんと答える自信がないし、出会う機会も少ないかも…というのが正直なところ。

壱岐焼酎というからには「壱岐」でつくっているのは間違いないけれど、その先はちょっと分からないなあ……。そんな思いから、実際に現地で調べてみることにしました。壱岐焼酎とは何か、どこでどんなお酒がつくられているのか? たくさんの疑問と興味を抱えて、長崎県・壱岐島へ向かいます。

まずは地理から! 壱岐ってどこにある?

博多港からジェットフォイルで1時間ほど、日本海・玄界灘に浮かぶ長崎県の壱岐島。面積は約130㎢と、2時間もあれば車で島内をぐるりと一周できる小さな島です。

島内を回っていると、息を呑むようなこんな美しい風景にしばしば出会うことができます。

四方を取り囲む美しい海では、ウニやブリ漁が盛ん。海の幸に恵まれる一方で、古くから農業も盛んな島です。壱岐島の最大標高は213mと、比較的なだらかで、その南東部に広がる平野「深江田原(ふかえたばる)」は、長崎県第2の広さなのだそう。この地形を生かして、古くから穀物を始めとする農作物の栽培が行われてきました。穀物の栽培……?!  焼酎につながりそうになってきましたね!

奥に広がるのが、壱岐最大の平野「深江田原」。
小さな島ながら港の数が多く、漁業が盛んなことがわかります。

土地の恵みから生まれる、壱岐焼酎の3条件。

球磨焼酎、琉球泡盛、薩摩焼酎と並んで、日本の蒸留酒として地理的表示(GI)に指定を受けている壱岐焼酎。「壱岐焼酎」を名乗るには、壱岐でつくられているだけではダメ。さらに以下の3つの製法ルールをクリアしなくてはなりません。

① 米麹と大麦の割合が1:2である
② 壱岐市内で採水した水を使う
③ 壱岐市内で原料の発酵および蒸留・貯蔵をする

まず第一に、壱岐焼酎は米麹を使った麦焼酎というのが大前提! 大分麦焼酎や博多焼酎など現在メジャーな麦焼酎の大部分は、麦麹と大麦を使います。米麹と麦で仕込むのは壱岐焼酎の大きな特徴です。

さらに米麹1:大麦2という独自の割合が定められているのも壱岐焼酎の個性。たとえば芋焼酎の場合、米麹とさつま芋の割合は1:5が一般的。壱岐焼酎は麹をたっぷり使う焼酎といえるでしょう。米麹の多さは米由来の旨みやまろやかさが強く出る。これが麦のさわやかさ、香ばしさと出会って、とても豊かな味わいを生み出します。

独自の製法をクリアした焼酎だけが、「壱岐焼酎」と名乗ることができる。

麦麹を使った麦焼酎が主流になったのは1970年代からですが、壱岐ではそれ以前から米麹を使った麦焼酎が主流。その流れを汲んで米麹を使うことが定められたのです。では「米麹1:大麦2」という独自の製法はなぜ定着しているのでしょう?

なぜ米麹1:大麦2?
原料をめぐる、壱岐焼酎の歴史について

壱岐焼酎の始まりは、今から約500年前の16世紀。

壱岐は、朝鮮半島から九州北部に蒸留酒が伝わった「朝鮮半島経路」の中継地として、日本で最初期に蒸留技術が根づいたとされる土地です。穀物の栽培も当時すでに盛んで、原料が調達できたことも大きい。対馬暖流の影響によって年じゅう温暖な気候の壱岐。清酒の保管が難しいために蒸留して焼酎にしたり、清酒粕を原料にした粕取焼酎をつくっていたと考えられています。

ところが江戸時代に入って米が年貢の対象になると、全量を米でつくる焼酎は貴重品となってしまいました。そこで米に代わって使われ始めたのが、当時から米と並んでよく栽培されていた麦。年貢の対象外だった麦は壱岐の人々の主食として育てられていたのです。余った麦を使って、麦焼酎をつくるようになりました。実はこれが麦焼酎の始まりで、そんなところから、壱岐は麦焼酎発祥の地と呼ばれます。明治32年(1899年)に自家用酒の製造が禁止されるまでは、壱岐では各家庭で麦麹と掛麦を原料とした全量麦焼酎をつくっていたそうです。

深谷田原に広がる大麦畑。現在島内で栽培している大麦のほとんどは、壱岐焼酎の原料用だそう。

一方で、粕取焼酎の製造も途絶えはしませんでした。江戸時代に壱岐を管轄していた平戸藩の「町方仕置帳」(1795年)に、焼酎についてのこんな記述があります。

荒生の焼酎、酒屋1軒に1升宛囲わせ置き諸士中其外病用に就き所望これ有候節は指紙相渡、代銀引替に売渡させ申す可き事

「荒生(アラキ)の焼酎」とは、度数の高い焼酎のこと。武士の傷の消毒用に壱岐の酒店に焼酎を常備することを義務づけるお達しです。当時、壱岐には清酒蔵も多く、清酒と一緒に粕取焼酎もつくっていたことが伝わっています。だからこの「荒生の焼酎」も粕取焼酎であったというのが有力な説です。

明治時代になると、年貢制度は廃止されたものの、自家用酒の製造に対する規制は強まりました。次第に酒蔵がつくる粕取焼酎と自家製の麦焼酎が掛け合わされて、米麹と麦を原料とする今の壱岐焼酎の原型ができあがりました。

明治33年(1900年)の壱岐の焼酎製造者の記録によれば、当時は米麹0.28石(約50kg)、麦0.6石(約108kg)、米0.1石(約18kg)の割合で、清酒同様の三段仕込みによって麦焼酎を製造していたといいます。

現在の壱岐焼酎の製法である、米麹1:大麦2という割合が生まれたのは昭和に入ってから。昭和17年(1942年)に、それまでの三段仕込みから二段仕込みの焼酎づくりを行うようになり、同時に米麹1:大麦2という割合が普及しました。

この小さな島に蒸留技術が伝わってからおよそ500年。麦焼酎の元祖といわれる壱岐焼酎は、気候や土地柄、時代ごとの情勢によって紆余曲折を経ながら少しずつ進歩してきたというわけです。

壱岐焼酎の味の決め手は豊かな水にあり!

島内の全蔵で140銘柄にも及ぶ壱岐焼酎。しかし、原料はすべて米麹1:麦2。蒸留や貯蔵に違いはあれど、同じ原料比率で140通りの味わいをつくるなんて何か秘訣があるはず……。

原料に並ぶ壱岐焼酎の味の決め手のひとつが水。製法ルールにもある通り、壱岐焼酎の仕込み水は全て地元で採れたものと決められています。その味の違いがお酒に反映されるのは言わずもがな。しかも壱岐は水道水の7割が地下水で賄われているほど水が豊かな土地。土地ごとの水の味わいが、蔵ごとの味をつくり出しているのです。

壱岐島は元々、約700万年前~70万年前の火山噴火によって形成されました。島の大部分は、玄武岩と呼ばれる溶岩石。この玄武岩層が長い年月をかけて磨き上げた地下水は、ミネラルを多く含み、焼酎づくりにも適した水質です。

海辺や内陸、標高……。同じ壱岐島でも、採水地によって水質は変わり、これが焼酎の味にも大きく関わってきます。実際に、「壱岐焼酎は水が秘訣!」という言葉は、壱岐焼酎の蔵元から繰り返し聞きます。水こそは、麦・米に並ぶ第3の大切な原料といえるでしょう。

壱岐の名所「猿岩」も層になった玄武岩が雨風で削られてできている。それにしても、本当に猿の横顔だ…。

壱岐焼酎は貯蔵に向いている?! その理由とは?

現在「壱岐焼酎」を名乗る蔵は島内に7つ。そのどの蔵も、古くから貯蔵熟成を手がけています。しかもタンクや樽、甕に貯蔵したバラエティ豊かな銘柄が揃う。つまるところ、熟成に向いた焼酎だという認識が定着しているのです。

実際、科学的にも、壱岐焼酎は熟成に向いた焼酎だと考えられているそう。そこには、壱岐焼酎で使用する米麹が関係しているといいます。

壱岐の蔵酒造の樽貯蔵庫。

壱岐焼酎で使う麹菌は、伝統的に黒麹。この黒麹がつくる酵素によって、米の成分が香りの元になる物質に変換されて、蒸留時に焼酎に移ります。この香りの元となる成分が熟成中に酸化すると、バニリンと呼ばれるまろやかな甘い香りを発する物質になるのです。

大麦も香りの元となる成分を多く含んでいることから、より旨みを感じる香りが抽出されると考えられています。

しかし、このような科学的検証が進んだのはつい最近のこと。そのはるか昔から、壱岐の人々は壱岐焼酎が持つ熟成のポテンシャルに気づいていたのでしょう。

壱岐焼酎をつくる7蔵を全紹介

明治時代の酒税法改正以前は、壱岐に23蔵あった焼酎蔵。需要の低下、島内の人口減も重なってその数は徐々に減り続け、現在では壱岐焼酎をつくる蔵は7蔵となりました。蔵の数こそ減りましたが、島の大きさからするといまだに密度は高く、まさに日本屈指の「焼酎島」。個性ある7蔵で壱岐焼酎の伝統を守り続けています。それぞれの蔵についてご紹介します!

天の川酒造

島の南西部、郷ノ浦にある天の川酒造。常圧蒸留と貯蔵がこだわりで、代表銘柄〈天の川〉や〈しめのお〉など、ほとんどの銘柄が熟成されています。なかには30年以上の熟成を経たものもあるほど! 熟成に力を入れる蔵元の一つです。

天の川酒造
長崎県壱岐市郷ノ浦町田中触808番地
創業 1912年
HP https://amanokawashuzo.com/

壱岐の蔵酒造

内陸の小高い丘に蔵を構える壱岐の蔵酒造。看板商品の〈壱岐っ娘〉を始めとするさまざまな焼酎を手がけるほか、リキュールやジンなど焼酎をベースとした酒づくりも行うチャレンジングな蔵元です。

壱岐の蔵酒造
長崎県壱岐市芦辺町湯岳本村触520
創業 1984年
HP https://ikinokura.co.jp/

壱岐の華

島の西部、芦辺町の海岸からほど近い土地にある壱岐の華は、麦の香りをしっかりと生かした焼酎が特徴。〈昭和仕込〉をはじめ、少数精鋭の銘柄で昔ながらの壱岐焼酎を手がけています。

壱岐の華
長崎県壱岐市芦辺町諸吉二亦触1664-1
創業 1900年
HP http://ikinohana.co.jp/

重家酒造

印通寺港のそばにある重家(おもや)酒造。〈ちんぐ〉や〈雪洲〉など、すっきりと爽やかな爽やかな味わいの焼酎が県内外で愛されています。壱岐で途絶えてしまった日本酒蔵を復活させたりと、これまでの歴史と新しい技術を取り入れた酒づくりに挑戦する蔵元です。

重家酒造
長崎県壱岐市石田町印通寺浦200
創業 1924年
HP https://www.omoyashuzo.com/

玄海酒造

島の最高峰、岳ノ辻の麓に蔵を構える玄海酒造。島外でも人気の高い〈壱岐〉のほかにも〈ルート382〉や〈鶴亀触鯛〉など島内限定の銘柄も多く、壱岐でしか味わえない焼酎をつくっています。

玄海酒造
長崎県壱岐市郷ノ浦町志原西触550-1
創業 1900年
HP https://www.mugishochu-iki.com/

猿川伊豆酒造

猿川川(さるこがわ)のほとりに位置し、清廉な仕込み水が持ち味の猿川(さるこう)伊豆酒造。独自の味わいになるよう蒸留器をカスタマイズしたり、超音波熟成に取り組んだりと、つくりの工夫を重ねています。

猿川伊豆酒造
長崎県壱岐市芦辺町深江本村触1402-1
創業 1903年
HP http://www.saruko.com/index.html

山の守酒造

玄海酒造のそば、郷ノ浦にある山の守酒造場。1899年の創業と、壱岐焼酎の蔵元のなかでは最古。甕仕込みにこだわりがあり、全銘柄を甕で仕込むのは壱岐焼酎7蔵の中でも、この山の守酒造場だけといいます。伝統技術の守り神とも言えるでしょう。

山の守酒造場
長崎県壱岐市郷ノ浦町志原西触85 
創業 1899年
HP http://www.mugishochu-iki.com/yamanomori/

焼酎の始まりの地・壱岐

諸説あるものの、壱岐は「焼酎の始まりの地」と呼ばれることがあります。その理由は、壱岐の持つ壮大な歴史や、古くからの諸外国との交流の深さ。

壱岐における文化の始まりは、紀元前200年頃の弥生時代。壱岐各地で集落が生まれ、約3000もの家が立ち並ぶ「一支国(いきこく)」があったことが「魏志倭人伝」に記されています。海外との交易によって栄えた一支国。その遺跡からは、当時の中国や朝鮮の通貨などさまざまな交易品が出土しています。

現在でも壱岐の各地では発掘調査が継続中で、なかにはこれまでの歴史を大きく塗り替える発見もありました。たとえば、2013年に弥生時代の遺跡で見つかったイエネコ(家畜化されたネコ)の化石。それまで、日本にイエネコが伝わったのは6世紀ごろとされていましたが、この大きな発見によって、歴史は500年以上も塗り替えられました。

島の南東部にある「原の辻遺跡」(はるのつじいせき)。弥生時代前期〜古墳時代にかけて、壱岐の国都だったとされる場所。特別史跡に指定され、当時の建物が再現されています。

また壱岐は、別名「天比登都柱(あめのひとつばしら)」とも呼ばれます。こちらの言葉、神話学では世界の中心を意味するもの。神に一番近い島といわれているのです。古事記では、​​イザナキとイザナミが5番目につくった島とされ、現在でも島内には1000社以上の神社が祀られているのも驚きの事実! 中には遣唐使時代に、島に流れ着いた唐人を祀った神社もあり、壱岐と諸外国との交流がいかに厚かったかが窺い知れるのです。

「原の辻遺跡」からもほど近い小島神社。干潮時のみ参道が現れる人気のパワースポット。

時代を下って1274年の元寇襲来時には本土との連絡を行う拠点に、さらに1591年の豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には軍資の補給地点に、1921年には東洋一の砲台「黒崎砲台」が設置される場所に……と、地理的な位置から、外交の最重要拠点として悲喜を味わってきた壱岐。しかしその暗い歴史の裏を返せば、古代から現代まで常に海外と日本をつなぐ最前線だったということです。中国や朝鮮から蒸留技術が日本に伝わったのは14〜15世紀。土地も水も豊かで、諸外国との頻繁な交流によって知識と技術が発展していた壱岐で最初の焼酎がつくられたという説は説得力があるように思います。

現在、壱岐が「焼酎の始まりの地」だという確たる証拠は見つかっていないものの、日本史を更新する歴史的発見がこの島で相次いでいることから、今後、思いも寄らない発見があるかもしれませんね。


次回からは、壱岐焼酎の熟成タイプのおすすめや、蔵元訪問記事など、壱岐焼酎を飲みたくなる情報を発信していきます。お楽しみに!

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約500年前から焼酎づくりが始まり、麦焼酎発祥の地とも呼ばれる壱岐。米麹と大麦を原料とする壱岐焼酎は、寝かせることで米麹の旨みと麦の香ばしさが増して、よりまろやかになることから、熟成に向いた焼酎とも言われているそう。実際に壱岐焼酎をつくる7蔵全てが熟成焼酎を手がけています。ということで今回は、おすすめの熟成壱岐焼酎を樽熟成と白もの(タンク・甕)に分けてご紹介します。

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長崎県の離島、壱岐島。澄み渡った玄界灘と広大な平野に囲まれた自然豊かな土地では約500年以上も前から脈々と焼酎づくりが行われている。その歴史の深さから麦焼酎の元祖とも呼ばれている「壱岐焼酎」。米麹のたっぷりとした旨味と、大麦のまろやかな口当たりが特徴とは知っているものの、その製造の裏側を知る手がかりは少ない。一体どのような場所で壱岐焼酎は生まれているのか? その現場を確かめるべく、壱岐焼酎をつくる蔵の1つ、壱岐の蔵酒造へ向かった。

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